Bashar (Yokohama 2002.6.16 13/18) [bashar]
今読んだその英語の文というものは、実際にオールザットイズというものを、実際に説明したものではありません。この概念というものは、人間の言葉で元々説明ができない説明不可能なものですので、皆さんにお解かり頂ける様に、ストーリー話という形をとって、書かれている説明されているという事なんです。
ここで納得いく事ができるかどうか、理解する事ができるかどうかやって見ましょう。今まで書かれていたのとは、違った方法で説明を試みてみましょう。
まず最初に理解して頂きたい事は、一番最初にこのオールザットイズのザットイズという事は、実際にそれは意味のあるものなんです。
オールザットイズ自身は、全てがオールザットイズだという事。を知っています自覚をしています。
しかし同時に、このオールザットイズというものが、全てがあるがままである。という事を知る為には、自分の中にその全てというものが、内包されているんだ。という事を自覚しなければそれができません。
オールザットイズの中には、オールザットイズノットというものは、内包されていない訳です。ただ概念としてそれを知っているという事なのです。
そうする事によって、オールザットイズというものそれ自体が、自分以外の存在自分以外のオールザットイズというものがあるかどうか。という事を考える余地余裕ができる訳です。しかしそれをするからといって、オールザットイズ以外の存在がいる。という事ではありません。
セスが、ここで言っている事書かれている事というのは、オールザットイズという存在自体が経験できる体験できる、可能性についてありとあらゆる可能性について、語っている書かれている訳です。だからといって、オールザットイズ以外の存在がいる。という事ではありません。
このパラグラフの事について、理解の少しでも役に立ちましたでしょうか。どうでしょうか。
Q. すごいユニークっていうか、...自分が遊んでいる感じです。...
ありがとうございます。
Q. 何か本当、自分が遊んでる感じっていうか、...いや、いい意味で、...
楽しんでいますか。遊んでいらっしゃるのであれば。
Q. 自分?...?全てなるもの自身
もちろん覚えておいて頂きたい事は、皆さんの住んでいらっしゃる様な、3次元の中時間と空間の中では、この様な概念コンセプトというものは、時には理解し難い。という事があります。
オールザットイズというものがオールゼアイズ。全ての存在というものがそれしかない。という事。
なぜならば、それが全てである。という事であれば、その中に想像しうる全ての体験経験というものがその中に存在する。という事であります。色々な体験や経験をする事ができる。という事です。
そして時には、それ自体が自分自体がオールザットイズであるという事を忘れてしまう。という事もあります。
そして、オールザットイズ自体が自分がオールザットイズであるという事を忘れてしまうという事は、分離という事です。分離という事を経験する。という事なんです。
例えば、
人間ですね。そういう事をします。
なぜならば、人間の歴史を紐解いてみますと。そこの多くでは、自分自身がオールザットイズだという事を、忘れてしまいながら生活をしている。という事をやってきたからです。
そして、自分自身がオールザットイズ全てだ。という事を忘れるゲームをする事によって、再びそれを再発見するびっくりする様な機会を、自分自身に与える事ができるからです。
そして、それをする事によって、自分に対する新しいパースペクティブ観点というものを、発見する事ができます。人間はその様な発見の仕方しかできない訳です。
なぜならば、このオールザットイズの一番高いレベル高次のレベルでは、自分自身がオールザットイズであるという事を忘れる事ができないんです。
こういう事がありますので、一番高次のレベルでは忘れる事ができませんので、オールザットイズそれ自身それ自体が、自分の中で様々なレベルを創るという事をしました。忘れてしまうという事、もしくはミステリー自分の中で不可思議な分からない部分があるという様なミステリーを創る。という事をした訳です。
ですから、オールザットイズ自体がミステリーという様なものを創り上げる事ができなければ、完全なオールザットイズという存在になり得ない訳です。
ですから、ここでパラドッグス逆説というものが生まれる訳です。オールザットイズというものが、本当に自分が全てなんだという事を知る為には、自分の中でオールザットイズであるという部分を忘れてしまう事が必要になる。訳です。
そうする事によって、自分の中でパラドッグス逆説というものが生まれます。存在するものと存在しない部分。そして全体性と部分。というこの様なパラドッグスが生まれる事になる訳です。
お役に立ちましたでしょうか。
Q. そうすると、その本の内容自体が全てなるもの自身の捜索であって、全てなるもの以外のものは存在するっていう事は不可能だ
という事ではありません。ただこの定義に耳を傾けてください。オールザットイズという事なんです。
オールザットイズ以外の事。考えうるオールザットイズ以外の事全てのものというものも、オールザットイズの一部に違いないという事です。そうでなければそれ自体がオールザットイズにならなくなってしまいます。
この話を進めていきますと、またもう一つ非常に理解しなければいけない大切な点、に差し掛かります。
次の様な事です。
皆さんが想像しうる、全てのものあらゆるものというものは、オールザットイズの一部です。という事は、それはリアルなもの本物である。という事です。
なぜならば、それらのものがオールザットイズ一部でなければ、それを想像する事は不可能になってしまうからです。
お解かり頂けましたでしょうか。どうでしょうか。
Q. そうすると例えばその本の内容...
ちょっと止めてください。
今私がお話した事、メイクセンス納得がいきますでしょうか。どうでしょうか。理に適っていますでしょうか。
Q. その本の書いてある事を想像できた時点で、それはオールザットイズの一部、その中の出来事だから...
想像する事ができる全てのものというものは、想像可能なものは本物のものである。という事です。存在していないものを想像する事はできない。という事なんです。
存在しないものを想像するという事はできません。想像というもの我々の想像力というものは、存在しないものを想像するイメージ化するという事ができない訳です。
ですから、この定義に副って考えていきますと、想像できる全てのものというものは、自動的に存在しているもの本物リアルなものである。という事です。
なぜならば、オールザットイズの外に何かがある。という事はない訳です。オールザットイズを超えた何かというものはありません。その超えるという超越するという概念そのものが、オールザットイズ中に内包されている内に含まれている。という事だからです。
ですから、これも時間と空間の幻想イリュージョンの一部な訳です。
つまり、オールザットイズを超越したそこから超えた何かがあるという事。その様な概念を想像する事ができるかもしれません。しかし覚えておいて頂きたい事は、そのイマジネーション想像というそのものが、オールザットイズの中にある。という事なんです。
ですから、このオールザットイズという事は、このゲームがその中で行われているという事なんです。ビヨンド何かを超越する何かを超えるという事は、実際には実在しないものなんです。
しかし、オールザットイズを超えて何かがあるかもしれないという概念自体は、オールザットイズが、自分自身に対して向き合っている向かい合っているという事なんです。
少しお解かり頂けましたでしょうか。
Q. よく分かりました。
遊んで下さって、ありがとうございます。とても楽しかったです。
Q. あともう一個あるんです。
他の方が質問できる様な機会を与えて下さい。先に進ませて下さい。
Q. どうもありがとうございました。
休憩に近づきつつありますが、スタッフの方々どうでしょうか。
では短い休憩をとりますので、休憩を楽しんで下さい。その後でこの様なコミュニケーションを続けましょう。ありがとうございました。